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宇宙からの警告        最終章 祈り

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アフリカの未開人は敵をいけにえに捧げ、勇気と力を得るために、心臓を切り刻んで一切れずつ食べる。
いくつかのキリスト教会は、今でも象徴的にこれと同じ事をしているが、正真正銘の聖体拝領は「聖霊」の共有に他ならず、自分が「真理」と「英知」と「聖なる法則」の形体化に必要な経路になれるような、生き方と考え方をすることである。
キリスト教世界の餓死しかけた諸宗派は見限って、因襲や正統派神学に捕らわれない真の霊的かてを求めなければならない。

宇宙は絶対的空間である。有限な心は幻想に惑わされ、宇宙(くうかん)をあるがままの姿と完全にかけ離れた風に想像している。心は自分が宇宙と「一体」であることに気づかないので、宇宙を自分とは別個のものと認識する。我々は「宇宙」と一体の心--空間の中に住んでいるのだ。「宇宙心」は空間であり、「空間」は宇宙心である。そして空間は、様々な活動の秩序正しい行列を形作って動いている。我々の意識は”宇宙意識”の一部分なのだ。

我々の中には心の準備をせずに、祈り始める人が沢山いる。
祈りの力は、当人が自らの内奥にひそむ「光」と「愛」の内的「源泉」と、どれだけ触れ合っているかで決まる
多くの祈りは決して報われず、我々はそれをいぶかしがる。
それは我々が否定的思考に捕らわれたままでは神に近づけないことをよく理解していない為である。金や健康を得ようと神に語りかけてはならない。
不調和な意識の本質それ自体が”聖なる法則”があなた方の本質を通して形体化することを拒んでしまうのだ。

神は穏やかで平和に満ち、静かで安らいでいる。だからあなた方も心と意識の中に同じ状態を作り出してこそ、初めて神と調和できよう。必要なものを神が送ることの出来る経路になるだけでいいのだ

穏やかな気持で静かに腰を下ろし、悩みや心配事をすべて念頭から追い払い、心を満々と水をたたえ波一つない池のように鎮めればよい。そして、内なる霊的自我において全力で願うことだ

理知という我々の目覚めた意識は、この内なる部屋に入る前に“沈黙”に入らなければならない。自分の意識から、活動的、外面的、物質的世界に属するものすべてを切り離すことである。

上昇する力、神から降りてくる力、まさにこの時、あなた方の心が可能な限り、静寂(しずか)で空白(なにもない)状態であるよう、全力を尽くすがよい。

あなた方の父なる神は、求めない先から、あなた方に必要なものはご存知なのである。
もし神と語り合い神に調和しようとすれば、入り口の扉は開かれ、我々は神が形体化するための経路となるであろう。

いったん完全な神との交流を成し遂げた者には、もはやその後の人生に困難や危険が生じることはない。
人間は個人としても集団としても、このような「聖霊」との交流を打ち立てる権利がある。
そうする事で、人類は夢想だにしなかった人生航路が、眼前に開かれるのを見るに違いない。
人間は、自分の内部に、今自分の住むこの物質的世界を超越する力を持っている。それは、自分を知ることを学びさえすれば、可能なのだ。

人間は、自分の“霊的”存在と分離している限り、いつまでも物質的法則に支配され、自分の環境や生活の状態と体験に縛られてしまう。また英知から離れている限り“真実”からも離れており,”真実”から離れている限り己も神も知ることはできない。
人間が神と一体化した状態“宇宙意識”の状態に到達する時、もはやそこには一切の分割も属性や特性もなく、ただ“自覚”だけが存在するのである。

人間自身の本質の中に人間を束縛から解放する“かぎ”が存在すると同時に、人間から自由を奪って拘束する錠前とかんぬきも存在するのである。
各人が心の中でこの鍵を使わなければならないのだ。誰もあなたの代わりに使うわけにはいかず、あなただけが自身のためにそれを行えるのである。

  
拙い要約にお付き合い頂きありがとぅございます。やはり、なわ・ふみとさんの書き方が判りやすいです


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