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世界を代表する数学者 岡潔博士

秋宵四話:日本にも面白い若者たちがいるようですナ!?

ねずきち氏の「岡潔」博士の記事である。
この中で紹介されている岡博士の言葉をピックアップしておこう。


日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。
こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。

自分がでしゃばってくると、本当にわかるということと、わからないということがごちゃごちゃになってくる。
そして、自分に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。

これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。
こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。
直観から実践へというと、すぐに陽明学のようなものを想定するかもしれないが、ああいうものは中国からきて日本化したのではなく、もともと昔から日本にあったものなのである。

(昨今の日本では)善悪の区別もつかなくなってきた。
日本で善といえば、見返りも報酬もないもので、少しも打算を伴わないことである。

そこに春泥があることを温かみとして沛然と納得するごとく、何事もなかったかのように何かをすること、それがおこなえればそれが善なのだ。

それから、これは西洋でも相当におかしくなっているのだが、人を大事にしていない。
人を大事にしないと、人とのつながりに疑心暗鬼になっていく。

人と人のつながりなど、最初につながりがあると思ったら、そのままどこまでも進むべきなのだ。
どこかで疑ったらおしまいなのである。
太平洋戦争が始まったとき、私は日本は滅びると思った。
ところが戦争がすんでみると、負けたけれども国は滅びなかった。

そのかわり死なばもろともと思っていた日本人が我先にと競争をするようになった。
私にはこれがどうしても見ていられない。

そこで自分の研究室に閉じこもったのだが、これではいけないと思いなおした。
国の歴史の緒が切れると、そこに貫かれていた輝く玉たちもばらばらになる。
それがなんとしても惜しいのだ。


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