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東北でぶらぶら病出現か。

院長の独り言様より<転載>

東北でぶらぶら病出現か。

福島でうつ病などと診断、原発事故と関連3割超

 東京電力福島第一原発事故後に福島県内の医療機関の精神科や心療内科外来を受診し、うつ病などと診断された患者の3割以上が、原発事故と関連があるとみられることが26日、福島県立医大(福島市)の調査で分かった。
 入院患者も、放射線被曝(ひばく)への恐怖が入院と関連しているとみられる割合が全体の4分の1に上った。
 県内77施設を対象に、事故直後の昨年3月12日から約3か月間に、毎週1日を抽出し、受診患者の状況を調査。回答のあった57施設で診断された410人を分析した。
 医師が原発事故との「関連あり」と診断したのは19・0%(78人)、「関連があるかもしれない」は13・4%(55人)で、合わせて3割以上が事故との関連を示す結果となった。
(2012年3月26日11時52分 読売新聞)
 

これは、放射能への恐怖から、病気になったという記事です。放射線恐怖症として、病名にもあげられています重松逸造氏は、次のように堂々と説明しています。

1990年4月、IAEAが発足させたチェルノブイリ原発事故をめぐる国際諮問委員会(IAC)の委員長に就任。各国から集められた200人の専門家集団の責任者として、ソ連国内の汚染状況と住民の健康の調査、住民の防護対策の妥当性の検討を目的とする国際チェルノブイリプロジェクト実施にあたった。翌1991年5月、ウィーンのIAEA本部で開かれたプロジェクト報告会において、汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない、むしろ、「ラジオフォビア(放射能恐怖症)」による精神的ストレスの方が問題である、1平方km当り40キュリーという移住基準はもっと上げてもよいが、社会的条件を考えると今のままでしかたないであろう、との報告をまとめ発表した。

 同じことを日本でもやろうとしているわけです。先日、東北のとある精神科医の方が流されたツイート

「注記)患者は本日受診したが、不眠、食欲低下、強い倦怠感、気力・集中力の低下を訴えており、特に原因として思い当たる出来事も無いと訴えている。精神科的には抑うつ状態と言うべきものであり休養と抑うつ状態の薬物療法が必要と思われる。なお期間は、、」こういう診断書ばかり書いている日々。

地震直後は錯乱状態の人がしばしば。「うつ状態」は去年の秋くらいから冬にかけて、、「なんだかだるい」「仕事は好きで職場も好きなんだけど」という人は今年に入ってからぽつぽつと、、
 

原因が思い当たらないのに、何もできない・・・「ぶらぶら病」を私は思い浮かべます。

保険医新聞から

-開業医の先生方にとって被ばくを治療する知識は、どういうものがあるのでしょうか。
肥田 一番マークしなければならない症状は、「非常にだるい」「仕事ができない」「家事ができない」という、原爆症の中で一番つらかった『ぶらぶら病』だ。
-避難者の中でそういう症状が現れれば原爆病・・・。
肥田「ぶらぶら病」という概念にあたる、原因の分からない後遺症。治療法は分からない。命が危険になる病気ではない。周期的にくる。大部分はその人特有の現れ方をする。ぜんそく発作のように、始まると4,5日止まらないとか、何週間、何ヶ月も続くとか、その出方も症状もみんな違う。
 いろんな検査をして、広島ではぶらぶら病の患者に対して「病気じゃない。原爆にあったショックの精神障害だからだんだんよくなる」と言うと、他の医療機関を受診し、同じことの繰り返しになる。これが特徴だ。


「原発事故の身体への影響」肥田舜太郎氏02(全2本)2011年8月6日


肥田先生の話の中に出てくる被曝兵士(参考)

(本当に、爆心地に向かって自国の兵士を行進させています)
 1989年にアメリカ、ニューイングランド地方を遊説して歩いたとき、私はボストン近郊のボードマン宅をたずね、ヒバクシャ医療について話し合った。私は広島・長崎原爆の被爆者の多くに起こったぶらぶら病症候群を話し、しれは病名のつかない不定愁訴を訴える多くの被曝米兵がいることを話した。彼は「未完だが、アメリカの若い医師に読ませる低線量放射線被害者の手引き書にする」と、タイプで打った"Radiation Impact"を差し出し、私はぶらぶら病の記載のある民医連の国連への報告書を差し出した。かれはそれを持って部屋を出て行って、しばらく帰ってこなかった。私は疲れが出てうとうとしていた。
 突然、わーっと言う大声に驚いて目を開くと、ボードマンが私の渡した報告書を高く掲げて、「ここあった!私の欲しいも気が広島にあった!」と声を出しながら部屋に入ってくると、いきなり私に激しく抱きついた。彼は報告書の「原爆ぶらぶら病」の項を指さし、今までの医学書に記載のなかった「ブ、ラ、ブ、ラ、シンドローム(症候群)」がはっきり書かれている。私はこれが欲しかった」となかなか興奮が収まらなかった。参考の為、報告書のその部分を抜粋しておく。

『広島・長崎の原爆被害とその後遺-国連事務総長への報告』
II-2 被害の医学的実態
(2)後障害
(g)原爆ぶらぶら病(当時はまだ症候群とは読んでいなかった)
 原爆症の後障害のうちで、とくに重要と思われるものに「原爆ぶらぶら病」がある。
被曝後30年を超えた今日まで、長期にわたって被爆者を苦しめてきた、「原爆ぶらぶら病」の実態は、次のようなものである。
i. 被曝前は全く健康で病気一つしたことがなかったのに、被爆後はいろいろな病気が重なり、今までもいくつかのない造形慢性疾患を合併した状態で、わずかなストレスによっても症状の増悪を表す人びとがある(中・高年齢層に多い)(中略)
ii.簡単な一般健診では以上が発見されないが、体力・抵抗力が弱くて「疲れやすい」「体がだるい」「根気がない」などの訴えがつづき、人並みに働けない為にまともな職業に就けず、家事も十分にやってゆけない人びとがある(若年層・中年層が多い)
iii.平素、意識してストレスを避けている間は症状が固定しているが、何らかの原因で一度症状が増悪に転ずると、回復しない人びとがある。
iv.病気にかかりやすく、かかると重症化する率が高い人びとがある。
 異常に示すように「原爆ぶらぶら病は」その包帯が明らかでなく、「被爆者の訴える自覚症状」は、頑固で、ルーチンの検査で異常を発見できない場合が多い。(後略)


原爆症の中で、特に辛かったのをあげるならば、それは「原爆ぶらぶら病」ではないだろうか。
 極度の倦怠感である。私の場合四六時中、何十年も続いた。あまりのつらさに、私は夜寝るときに神に祈ったこともある、「明日の朝、めが覚めませんように」。
 医師に懇願したこともある、「一日でも一時間でもいいから、さわやかで軽い身体にしてください」。
 それが放射能の内部被曝によるモノだと知ったのは、ずっと後になってからであった。


もし発病初期に体の怠さを感じたら、何よりもまず休養して栄養をとることが肝腎である。無理を押して仕事をするものは、へたな植木屋が移植した松の木のように、次第に気力を失って生命を絶っていく。小畠村の隣村でもその隣の村でも、被曝を免れたつもりで広島から至極元気で帰郷して、一ヶ月か二ヶ月ぐらい根を詰めて働いていたものは、一週間か十日ぐらい床について死んでしまった。発病が身体の一局部に現れると、この病気特有の痛みを感じ、肩や腰の痛みも他の病気とは比較しがたい症状である

 


この症状は、慢性疲労症候群(CFS)、湾岸戦争症候群とも重なります。

 単なる鬱病としてしまって良いのでしょうか。

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