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66:日本魂の持ち主たち by サブリナ on 2010/10/26 at 01:50:12

誇りたかき人々の事はほとんど知らないのです。

67:この一節は by 森下礼 on 2010/10/26 at 06:02:43

・・・大本教、出口王仁三郎の言葉でしたね。
そうとうエネルギッシュな人だったと覚えています。和歌も一度にたくさん詠むなど。

68:Re: この一節は by サブリナ on 2010/10/28 at 01:20:53

> ・・・大本教、出口王仁三郎の言葉でしたね。
> そうとうエネルギッシュな人だったと覚えています。和歌も一度にたくさん詠むなど。

凄いなぁ~ほんとに何でも知っているんですね。^^;

久しぶりに読んでとても気に入ってしまったのです。
私も 「宇宙からの警告」「エドガー・ケイシー」を持っています。
好きな本ばかり、何度も何度も読んでしまいます。

73:一二三神事より抜粋。 by サブリナ on 2010/10/31 at 22:15:17

 親呼ぶ赤子の声で神を求めよ  [TOP]

●神は理屈ではない。理(みち)であるぞ。生きた自由自在の、見当とれん絶対であるぞ。ただ求めるより外に道はないぞ。親呼ぶ赤子の声で神を求めよ。神に呼びかけよ。すべてを投げ出せよ。まかせ切れよ。神は喜びの光となって、そなたに現れてくるぞ。理屈の信仰に囚われると邪道。赤子心の理解は第一ぞ。(黒鉄の巻・第26帖)

  理屈でなく心の底から神を信じることを「赤子心」と表現しています。まったく同じ内容が新約聖書の中でもイエスの言葉として繰り返し述べられています。幼子が親を信じ切って任せきる(全託する)気持ちこそが、この終末の時代には特に大切になってくるのです。

●神まかせがよい人民であるぞ。この神と認めたら理解して、まかせ切れよ。(中略)雨降らば雨を、風吹けば風を、ひとまず甘受せよ。受け入れずにはね返すのは大怪我のもと。何回でも何回でも同じこと繰り返さねばならんことになるぞ。何か迫りくるのは、何か迫りくるものが自分のなかにあるからぞ。内にあるから外から迫るのじゃ。自分が呼び寄せているのじゃ。(春の巻・第16帖)

  大切なのは「神に任せ切ること」だと諭してくださっています。「雨降らば雨を、風吹けば風を、ひとまず甘受せよ」ということです。「自分に降りかかる出来事は、すべて(身魂磨きのために)必要なことなのだ」という考えに立てば、一つひとつの出来事に心を煩わせ、過去を悔やみ、未来を不安に思う必要はなくなるのです。
  もちろん、自分は何の努力もせずに、ただ「神様お願いします。守ってください」という姿勢は良くないのです。「天は自ら助くる者を助く」という言葉の通り、自助の努力は大切だと述べられています。その努力とは、この世で生き延びるための努力ではなく、自らの内にあるものを浄化する努力というべきものです。「世の中全体が平和であるようにと祈り、そのために自ら実践する」ことが大切なのです。「自分や自分の身近な者だけが助かりたい」という我善しの気持ちでは助かることはないということです。次の神示にそのことが述べられています。

●神にまかせきると申しても、それは自分で最善を尽くしてあとのことじゃ。努力なしにまかせるのは悪まかせじゃ。悪まかせ多いのう。(春の巻・第26帖)

●カミヒトと申すのは、神の弥栄(いやさか)のため、世の弥栄のため祈り、実践する人のことであるぞ。神のため祈れば神となり、世のため祈れば世と一体となるのじゃ。自分のためばかりで祈れば迷信、我善しの下の下ぞ。(春の巻・第2帖)

  「身魂磨きの要諦は、良くない心の癖を直すこと」というのが、私がこの人生で到達した結論です。そのことは日月神示にもたびたび出てきます。次の神示もその一つです。

●なくて七癖、七七四十九癖。悪い癖直してくだされよ。天国へ行く鍵ぞ。直せば直しただけ、外へひびくものが変わってくるぞ。よくなってくるぞ。変わってくれば、外からくるもの、自分にくるもの、変わってくるぞ。よくなってくるぞ。幸せとなるぞ。よろび満ち満つぞ。(春の巻・第12帖)

●自分はよいが、世の中が悪いのじゃと申しているが、その自分省みよ。自分が神の理(みち)にあり、真実であるならば、世の中は悪くないぞ。輝いているぞ。自分にふりかかってくる一切のものは最善のものと思え。いかなる悪いことも、それは最善のものであるぞ。(中略)世を呪うことは自分を呪うこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。このこと悟れば、一切はそこから開けくるぞ。十のもの受けるには十の努力。(春の巻・第13帖)

  ここでは「悪い心の癖を直すことが天国に行く鍵」と表現されています。私は「終末への備え」はこれに尽きると思っています。食糧危機に備えて田舎に疎開したり、核爆弾を恐れて核シェルターを準備したりしても、助からない人は助からないのです。逆に「助ける人はどこにいても助ける」という日月神示の神様の言葉を、私は文字どおり「赤子の気持ち」になって素直に信じています。

 人民のみで世界連邦はつくれない  [TOP]

●みろくの世となれば世界の国々がそれぞれ独立の、独自のものとなるのであるぞ。じゃが皆それぞれの国は一つのへそで、大き一つのへそにつながっているのであるぞ。地上天国は一国であり、一家であるが、それぞれの、また自ずから異なる小天国ができ、民族の独立性もあるぞ。一色にぬりつぶすような一家となるように思うているが、人間の浅はかな考え方ぞ。この根本を直さねばならん。霊界の通りになるのじゃ。(秋の巻・第9帖)

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日本魂


出口王仁三郎 三千世界大改造の真相  より

一部抜粋
日本魂と申す物は、天地の先祖の神の精神と合わした心であるぞよ。至善至愛の大精神にして、何事にも心を配り行き届き、兇事に遭うとも大山の如く、ビクとも致さず、物質欲断ちて精神は最も安静な心であるぞよ。天を相手とし、凡人と争わず、天地万有山野海川を我の所有となし、春夏秋冬も昼も夜も暗も雨も風も雷も霜も雪も皆我が言霊の自由に為し得る魂であるぞよ。
 如何なる災禍に遭うも艱苦を嘗めるも意に介せず、幸運に向かうも油断せず、生死一如にして昼夜の往来する如く、世事一切を惟神(かんながら)の大道に任せ、好みもなく恨みも為さず、義を重んじて心裏常に安静なる魂が日本魂であるぞよ。
 常に心中長閑(のどか)にして、川水の流るるごとく、末に至るほど深くなりつつ自然に四海に達し、我意を起こさず、才智を頼らず、天の時に応じて神意に随って天下公共の為に活動し、万難を弛まず屈せず、無事にして善を行なうを日本魂と申すぞよ。

(中略)

 誠の日本魂のある人民は、其の意志(こころ)平素(つね)に内にのみ向い、自己(おのれ)の独り知る所を慎み、自己の力量才覚を人に知られん事を求めず、天地神明の道に従い交わり、神の代表となりて善言美辞を用い、光風霽月(せいげつ)の如き人格を具えて自然に光輝を放つ身魂であるぞよ。
 心神常に空虚にして一点の私心無ければ、常永(とこしえ)に胸中に神国あり、何事も優れ勝りたる行動を好み、善者を喜びて友となし、劣り汚れたるを憐れみ且つ恵む、富貴を欲せず羨まず、貧賤を厭わず侮らず、只々天下の為に至善を尽くすのみに焦心す、是の至心至情は日本魂の発動であるぞよ。
 天下修斎の大神業に参加するとも、決して慌てず騒がず、身魂常に洋々として大海の如く、天の空しうして鳥の飛ぶに任すが如く、海の広くして魚の踊るに従うが如き不動の神を常に養う、是れが神政成就の神業に奉仕する身魂の行動でなければならぬのであるぞよ。
 凡人の見て善事と為す事にても神の法に照らして悪しき事は是れを為さず、凡人の見て悪と為す事にても神の誠の道に照らして善き事は勇みて之を遂行すべし。天意に従い大業を為さんとするものは、一疋(ぴき)の虫と雖も妄りに之を傷害せず、至仁至愛にして万有を保護し、世の乱に乗じて望を興さぬ至粋至純の精神を保つ、是れが誠の日本魂であるぞよ。
 今度の二度目の天之岩戸開きの御用に立つ身魂は、是れ丈けの身魂の覚悟が無ければ到底終わりまで勤めると云う事は出来んから、毎度筆先で日本魂を磨いて下されと申して知らしてあるぞよ。(大正8年2月21日)

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66:日本魂の持ち主たち by サブリナ on 2010/10/26 at 01:50:12

誇りたかき人々の事はほとんど知らないのです。

67:この一節は by 森下礼 on 2010/10/26 at 06:02:43

・・・大本教、出口王仁三郎の言葉でしたね。
そうとうエネルギッシュな人だったと覚えています。和歌も一度にたくさん詠むなど。

68:Re: この一節は by サブリナ on 2010/10/28 at 01:20:53

> ・・・大本教、出口王仁三郎の言葉でしたね。
> そうとうエネルギッシュな人だったと覚えています。和歌も一度にたくさん詠むなど。

凄いなぁ~ほんとに何でも知っているんですね。^^;

久しぶりに読んでとても気に入ってしまったのです。
私も 「宇宙からの警告」「エドガー・ケイシー」を持っています。
好きな本ばかり、何度も何度も読んでしまいます。

73:一二三神事より抜粋。 by サブリナ on 2010/10/31 at 22:15:17

 親呼ぶ赤子の声で神を求めよ  [TOP]

●神は理屈ではない。理(みち)であるぞ。生きた自由自在の、見当とれん絶対であるぞ。ただ求めるより外に道はないぞ。親呼ぶ赤子の声で神を求めよ。神に呼びかけよ。すべてを投げ出せよ。まかせ切れよ。神は喜びの光となって、そなたに現れてくるぞ。理屈の信仰に囚われると邪道。赤子心の理解は第一ぞ。(黒鉄の巻・第26帖)

  理屈でなく心の底から神を信じることを「赤子心」と表現しています。まったく同じ内容が新約聖書の中でもイエスの言葉として繰り返し述べられています。幼子が親を信じ切って任せきる(全託する)気持ちこそが、この終末の時代には特に大切になってくるのです。

●神まかせがよい人民であるぞ。この神と認めたら理解して、まかせ切れよ。(中略)雨降らば雨を、風吹けば風を、ひとまず甘受せよ。受け入れずにはね返すのは大怪我のもと。何回でも何回でも同じこと繰り返さねばならんことになるぞ。何か迫りくるのは、何か迫りくるものが自分のなかにあるからぞ。内にあるから外から迫るのじゃ。自分が呼び寄せているのじゃ。(春の巻・第16帖)

  大切なのは「神に任せ切ること」だと諭してくださっています。「雨降らば雨を、風吹けば風を、ひとまず甘受せよ」ということです。「自分に降りかかる出来事は、すべて(身魂磨きのために)必要なことなのだ」という考えに立てば、一つひとつの出来事に心を煩わせ、過去を悔やみ、未来を不安に思う必要はなくなるのです。
  もちろん、自分は何の努力もせずに、ただ「神様お願いします。守ってください」という姿勢は良くないのです。「天は自ら助くる者を助く」という言葉の通り、自助の努力は大切だと述べられています。その努力とは、この世で生き延びるための努力ではなく、自らの内にあるものを浄化する努力というべきものです。「世の中全体が平和であるようにと祈り、そのために自ら実践する」ことが大切なのです。「自分や自分の身近な者だけが助かりたい」という我善しの気持ちでは助かることはないということです。次の神示にそのことが述べられています。

●神にまかせきると申しても、それは自分で最善を尽くしてあとのことじゃ。努力なしにまかせるのは悪まかせじゃ。悪まかせ多いのう。(春の巻・第26帖)

●カミヒトと申すのは、神の弥栄(いやさか)のため、世の弥栄のため祈り、実践する人のことであるぞ。神のため祈れば神となり、世のため祈れば世と一体となるのじゃ。自分のためばかりで祈れば迷信、我善しの下の下ぞ。(春の巻・第2帖)

  「身魂磨きの要諦は、良くない心の癖を直すこと」というのが、私がこの人生で到達した結論です。そのことは日月神示にもたびたび出てきます。次の神示もその一つです。

●なくて七癖、七七四十九癖。悪い癖直してくだされよ。天国へ行く鍵ぞ。直せば直しただけ、外へひびくものが変わってくるぞ。よくなってくるぞ。変わってくれば、外からくるもの、自分にくるもの、変わってくるぞ。よくなってくるぞ。幸せとなるぞ。よろび満ち満つぞ。(春の巻・第12帖)

●自分はよいが、世の中が悪いのじゃと申しているが、その自分省みよ。自分が神の理(みち)にあり、真実であるならば、世の中は悪くないぞ。輝いているぞ。自分にふりかかってくる一切のものは最善のものと思え。いかなる悪いことも、それは最善のものであるぞ。(中略)世を呪うことは自分を呪うこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。このこと悟れば、一切はそこから開けくるぞ。十のもの受けるには十の努力。(春の巻・第13帖)

  ここでは「悪い心の癖を直すことが天国に行く鍵」と表現されています。私は「終末への備え」はこれに尽きると思っています。食糧危機に備えて田舎に疎開したり、核爆弾を恐れて核シェルターを準備したりしても、助からない人は助からないのです。逆に「助ける人はどこにいても助ける」という日月神示の神様の言葉を、私は文字どおり「赤子の気持ち」になって素直に信じています。

 人民のみで世界連邦はつくれない  [TOP]

●みろくの世となれば世界の国々がそれぞれ独立の、独自のものとなるのであるぞ。じゃが皆それぞれの国は一つのへそで、大き一つのへそにつながっているのであるぞ。地上天国は一国であり、一家であるが、それぞれの、また自ずから異なる小天国ができ、民族の独立性もあるぞ。一色にぬりつぶすような一家となるように思うているが、人間の浅はかな考え方ぞ。この根本を直さねばならん。霊界の通りになるのじゃ。(秋の巻・第9帖)

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