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250: by 大矢部結城 on 2012/11/19 at 05:55:24 (コメント編集)

わかります

251: by サブリナ on 2012/11/23 at 23:54:45

結城さん。来てくださってありがとうございます。

短く大筋だけにしました。ソニアの話がなくなって・・ゴメンね。トラガンがとても可愛そうでした。

大切な真面目な話しをして下さっているのに、日本のネットの住人にはがっかりなさったでしょうか。普通の時は、楽しいメンバーなんですが・・涙

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戦争の体験談を語るわ その1



コソボって名前だけは聞いた事がありましたが、可愛そうなことになっているんですね。

戦争の体験談を語るわ その1


俺が暮らしていたのはボスニア・ヘルツェゴビナだったんだけど、
その時はまだユーゴスラビア連邦の構成国だったんだ。
そこには大体3つの民族、ボシュニャチ(ボスニア人)、スルツキ(セルビア人)、
フルヴァツキ(クロアチア人)が混在して一緒に暮らしてたんだ。

そこからどうやって泥沼の紛争になったかを書かないと意味がないと思うから、
まだ長くなる。今話してるのは戦争が始まる2年前の話。

27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/05/19(水) 13:31:19.58 ID:sViwJ6eP0
その日以降から、言葉は殆ど通じなくても、一緒に鬼ごっこしたりサッカーしたりして遊んでさ、
クラスでも徐々に一緒に過ごす友達が増えてきて、学校がとても楽しかった。
特にカミーユとかドラガンはクラスが違うっていうのに、休み時間になると俺のクラスまで
来てくれてさ、一緒にくだらない遊びしてたな。昼休みはワンバンっていって、
サッカーボールを一回のバウンドだけでキャッチして相手に蹴るゲームとかやったりしたなー。
何でここまでカミーユ達、特にカミーユが仲良くしてくれるのかはわからなかったけれど、
ありがたかったよ。その理由がわかった時は、すごく辛かった。

30 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/05/19(水) 13:33:47.44 ID:sViwJ6eP0
とはいってもさ、学校のない日はやっぱ暇な時が多い。毎回カミーユ達と遊べるわけじゃないしね。
それで色んな所を一人探検したりしてた。高原っていうか平原が無限に広がってる感じで、
なかなか面白かったよ。

そんなある日、カミーユ達はモスクだとか教会がどーのこーので遊べないから、
いつものように一人で探検してたんだ。
そしたらさ、少し丘を登って過ぎたあたりに、家があったんだよね。結構ぼろっちい。
最初廃墟かと思って、潜入を試みたわけなんだけど、庭に入ったところで同い年位の女の子と
ばったり鉢合わせちゃったんだ。
二人同時に「ビクッ!」ってなったね。ヤバイ。人が住んでたってわかった俺は、そのまま逃げれば
いいものをさ、慌てちゃって何故か自己紹介しちゃったんだ。日本語でだけどね。


41 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage]:2010/05/19(水) 13:40:41.34 ID:Hu8APTN70
そっちいた頃は主に何食ってたの?


>>41
ブレクだとかたまに、ボサンスキ・ロナッツ。
ただ、父さんは仕事から帰ってくるの遅いのが多いから、
豆とか多かった気がする。

大体する事と言ったら、花を摘んだり、オママゴトしたりさ、
人形遊びしたり、ソニアパパの猟にくっついていったりぐらいなんだけどね。
ソニアのパパもママも、毎回来て迷惑だろうにソガンドルマとか作って
お昼に食べさせてくれた。あの味は今も忘れられないよ…本当に。
野菜嫌いだった俺に野菜の美味しさを教えてくれたよ。

58 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 14:01:33.57 ID:60HAO/620
初めて皆で遊んでから少し経った金曜日、この日も毎週と同じく非常に暇を持て余していた。
じゃあ、またソニアの家に遊びに行こう!と考えた俺は、水筒を担いで向かったんだ。
家に行っていつもの様に遊んでいると、お昼ぐらいになった。
ソニアパパとママは礼拝があるからと言って、お昼を準備した後、
ソニアと俺を残してモスクへ出かけていった。
この日は普段と違って特別な昼食だったよ。

いつもはご飯の後にデザートなんて出ないんだけど、この日はバクラヴァが出たんだ。
最初は、ただのデザートだと思っていたんだ。だけど、ソニアがニコニコしながら、
「特別なんだよ」って教えてくれた。

59 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 14:02:55.15 ID:60HAO/620
このバクラヴァは今でこそ日本にもあるらしいけれど、現地では特別な日に
食べられる事が多いデザートなんだ。何故、この日が特別なのかは
最初俺にはわからなかった。だから、「何で?」と質問したんだ。

すると、ソニアは少しモジモジと照れながら、
「祐希が私の友達になってくれた。一杯のお友達を連れてきてくれた。そのお礼の日だから。」
確かこんな事を言われたんだ。当時の俺は気づかなかったんだけど、前にも書いたとおり、
ソニアは俺達と同じ年齢にも関わらず学校へは行っていなかったんだ。学校自体に通っていな
かったのか、それとも不登校だったのかは未だにわからないけれどね。


61 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 14:05:26.68 ID:60HAO/620
だから、ソニアには全然友達が居ないんだ。俺はソニアにとって、
初めて出来た異性の友達で、そして久しぶりに出来た友達だったんだ。
こんな目と鼻の先、数キロしか離れていないのに、
不思議だよな。おかしな話だ。でも、それがこの国の現実だったんだ。
この時は、そういった事を何も知らなかった俺には、そうなんだー位にしか思わなかった。

そういった事もあって、ソニアパパは、一ヶ月前に出会った日の帰りの道中、
ニコニコしながら俺に一杯話しかけてくれたし、遊びに行くたびに歓迎してくれて、
そして帰りはわざわざ車で送ってくれていたんだ。
この時は謙虚だとか遠慮だなんて言葉すら知らなくてさ、ソニアパパやママには
図々しい事を沢山してしまったなと思う。


85 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 14:38:57.05 ID:60HAO/620
昼食を済ませた後だったと思う。結構古い雰囲気のモスクがあって、
まだきちんとしたモスクを実際に目にしていなかった俺は、
「あれは何?」って聞いたんだ。
そしたら、歴史あるモスクだから、見学してみるか?ってソニアパパが言ったんだ。

俺は当然異教徒なわけだけれど、丁度礼拝みたいのをやっていてさ、
俺も混ざっていい?って聞いたら、勿論って言われて、
一緒にアッラーフアクバルーみたいな言葉を唱えた。
貴重な経験だった。まさかこの場所にまた来ることになるとは、
この時はまだ想像もしていなかった。

87 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 14:41:10.28 ID:60HAO/620
8月になると、9人で一緒に遊ぶことが多くなった。
ソニアの家が遠いから、殆どソニアの家かその付近で遊んでいたけれどね。
ソニアの家から少し歩いた所にある山に、秘密基地のような場所を
作って遊んでいたよ。カミーユが持ってきた立派な双眼鏡みたいなのを
使って、街を見たり、遠くを眺めたりしてよく遊んだなー。
この双眼鏡のせいで、後であんな事になるとは思いもしなかったよ。


104 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 15:08:34.70 ID:60HAO/620
そして第二次世界大戦期、この地域の大半がナチスドイツの傀儡国家としてのクロアチアの
支配下に組み込まれたんだ。この支配下ではさ、フルヴァツキの民族主義組織、確かウスタシャだ。
ウスタシャによってスルツキの人々は激しい迫害を受けて、数十万人(30~100万?)の人々が殺害されたんだ。

また、これに対してスルツキの民族主義者チェトニクによって、フルヴァツキやボシュニャチの人々が殺された。
つまり、この時期、フォーチャをはじめとする各地で、ウスタシャとチェトニクによる凄惨な民族浄化の
応報が繰り広げられたんだ。チェトニクはさ、フルヴァツキやボシュニャチの人々を徹底的に虐殺して、
犠牲者はフルヴァツキ20万人、ボシュニャチ9万人ぐらいって、チェトニク側から公表されてる。

この民族浄化っていうのはさ…つまりは市民を襲うんだ。村を。女や子どもはレイプしたり殺したりして、
男は喉を切って殺したりして。

106 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 15:12:24.28 ID:60HAO/620
何でここまで殺しあうんだ?って思うかもしれない。これはWW1以前の因縁もあるけれど、
やはりWW1後に誕生したユーゴスラビア王国による政策に問題があったと思う。
建国当初からさ、スルツキによって国は占められていてさ、民族意識の強いフルヴァツキの
反発が絶えなかったんだ。

そこにウスタシャがつけこんで、反セルビア、打倒セルビアへと支持を拡大しながら突き進んでいったんだ。
これは、ユーゴ崩壊につながるフルヴァツカ紛争(クロアチア紛争)やボスニアの紛争にも繋がっていくんだ。

一方で、チェトニクは大セルビア主義という、西部バルカンの大半はセルビア人の土地っていう認識を
持って痛んだ。

122 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 15:33:50.26 ID:60HAO/620
9人で遊ぶ時は秘密基地で、ソニアと二人で遊ぶ日曜日は
ソニアの家で過ごしていた。たまに学校の別の子と遊んだり
もしたけどね。

今と違って携帯電話とかがなかったから、遊んだ日に大体次の約束をして、
どうしても行けない時はソニアに電話して伝えてた。



127 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 15:43:32.11 ID:60HAO/620
皆で雪だるまを作ったり、丘から雪だるまを落としたりして遊んでいた。
周りは広い平原というか高原、そして山々に囲まれた盆地だったから、
本当に一面が真っ白で、ソニアの家から見る景色は綺麗だった。

確かこの時雪合戦をしたんだ。皆で雪の壁で陣地を作って、
4・5に別れてさ。ドラガンの奴が雪をかなり硬く固めてさ、痛かった。
あぶないなぁーなんて思ってたら、それが丁度サニャの目に当たっちゃったんだ。
サニャは涙ぼろぼろ流しながら大丈夫、大丈夫って言ってたんだけど、
それを見たカミーユがぶち切れてしまって、ドラガンにつかみ掛かってた。
止めなきゃって思ったんだけど、この時はメルヴィナが好きにさせときなって言ってさ。

137 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 15:55:25.97 ID:60HAO/620
この時期は、ソニアママの言いつけで、危ないから秘密基地には行かないって
皆約束させられてたな。

そして気づけば5月。この国で過ごして1年が経過していた。
毎日が充実して、予定が一杯あって、忙しい日々だったと思う。
それでも、当時の俺にとっては、この一年がとても長く感じた。
充実した一年ではあったけれど。

138 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 15:56:33.48 ID:60HAO/620
俺の家に8人を招待して、皆でお祝いパーティーみたいのをしたんだ。
父さんは料理が下手だっていうのに、気合を入れて日本料理を作ったりしてさ、
でも皆の口には合わなかったらしく、全員引きつった顔をしていたよ。
俺も不味くて引きつった表情してしまったけれどね。
それでも、父さんは俺が友達を作って、そして毎日仲良く過ごしている事に
喜んでくれているようだった。


139 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 15:57:45.51 ID:60HAO/620
この時は、ずっとこの幸せな期間が永遠と続くと思っていたよ。



140 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 15:58:52.24 ID:60HAO/620
6月末頃だったと思う。隣のフルヴァツカで戦争が始まったんだ。
隣国だけれど、自分達には特に関係がないものだと思っていた。


141 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:00:47.75 ID:60HAO/620
しかし、実際にはそう簡単な問題ではなかったんだ。
街だけでなく、学校のクラスにおいても、
スルツキ・フルヴァツキ、そしてボシュニャチの間で
気まずい状況になり、ついにはクラスの席が民族ごとに
別れる様な状態になってきた。

143 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:02:14.63 ID:60HAO/620
言うまでも無く、今までのように放課後一緒に遊ぶ事は出来なくなったんだ。
ただ、それでもまだ大きな紛争にはなっていなかった。
まだフルヴァツカだけの話で済んでいたんだ。


145 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:04:32.35 ID:60HAO/620
だから、民族間の陰での対立が始まる兆候が見えてからも、
俺達は大人に隠れてこっそりと秘密基地に集まっては、
9人で遊んでいた。自分達には関係ない話だったんだ。
俺達にとって大切なのは、民族や宗教じゃなくて、
目の前にいる友達だった。だから、何があっても俺達は
仲間だ。一緒に助け合っていこう。ずっと一緒だ。
そういった約束を交わしたんだ。


146 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:06:44.06 ID:60HAO/620
ごめん。言い忘れてたけど、
俺は日本人で、
ソニア、サニャ、メルヴィナ、カミーユ、メフメット、カマルはボシュニャチでムスリム
ミルコはフルヴァツキでローマ・カトリック
ドラガンはスルツキでスルプスカ・プラボスラニナ


147 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:08:02.12 ID:60HAO/620
あ。スルプスカ・プラボスラニナっていうのは、セルビア正教ね。

俺達は友達であり、お互いに信頼し合う仲間だったけれど、
同じ言葉を話しているとはいえ、違う民族、そして違う宗教を信ずる集まりだったんだ。

149 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:10:15.12 ID:60HAO/620
夏休みに入っても、去年のように一緒に表立って遊ぶという事は出来なくなっていた。
少しずつではあるけれど、着実のこの国でも民族間の対立、宗教の対立、そして過去の
負の因縁の対立が次第に高まってきていた。大人たちは違う民族間で極力話さないように
なっていたし、話してはいけない雰囲気になっていたんだ。


150 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage]:2010/05/19(水) 16:11:20.22 ID:JeXMzKRoP
ドラガンだけがセルビア人なのか。


>>150
うん。実際、俺達の地域は5割くらいがボシュニャチで、4割がスルツキ、1割がフルヴァツキ
みたいな感じだったと思うんだ。だから、俺の地域では少なくともスルツキは少数派では
なかったよ。

152 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:14:19.09 ID:60HAO/620
父さんは、もしかしたら戦争になるかもしれない。お父さんは仕事をやめる事が出来ないが、
祐希は日本へ帰りなさい。って何度も言われた。でも、俺は友達を残して自分だけ日本に
帰るなんて出来なかった。それに戦争というものを理解していなかったんだ。
戦争にならないようにすればいいでしょ。そんな風に思っていた。

基本的に同じ民族、殆ど同じ宗教の人々が暮らす日本で育ったから、
理解できなかったんだ。民族間の対立というものを。子どもだったしね。

162 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:23:29.67 ID:60HAO/620
そして9月になった。今まではフルヴァツキの軍と
フルヴァツカ在住のスルツキの人々との衝突だった紛争が、
9月末頃にはフルヴァツカ軍とスルツキを主体としたユーゴ連邦軍の戦争へと
発展したんだ。

この国では、ボシュニャチが人口の過半数を占めていて、
俺の住んでいたカリノヴィクも例外じゃなかった。
日が経つに連れて、街の中ではフルヴァツキとスルツキの人々の
関係が悪化して、時々通りで大人同士が喧嘩をするようになってきていたんだ。


165 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:25:43.22 ID:60HAO/620
そして10月に入ると、ボシュニャチが大半を占めるこの国では、
連邦から脱退しようという声が広がって、
ついに政府が主権宣言みたいのをしたんだ。つまり、
連邦内の国家じゃなくて、一つの独立した主権を有する国家となるという宣言なんだ。

父さんから説明されても、当時は理解できなかったけれどね。
その宣言によって、街の中はさらに緊迫した状況になった。
学校の中でも、子どもであるにも関わらず、民族どうして一緒に行動して、
そして喧嘩が起きたりしていたんだ。つい最近までは一緒に遊んでいたのに。

168 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:28:33.35 ID:60HAO/620
街や学校、恐らく国内全域で、フルヴァツキ(クロアチア人)・ボシュニャチ(ボスニア人)と
スルツキ(セルビア人)の間で緊迫した状況になっていたんだと思う。
親には外で遊ぶのは辞めなさいと言われるようになっていたし、一緒に
遊んでいた8人も親から同様の事を言われていた。

大人は、例え子どもであったとしても、他民族の子には冷たくするようになってきていた。
今の東京の比じゃないくらい、寂しく悲しい街へと変わっていたんだ。


169 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:29:28.89 ID:60HAO/620
年が明けて1992年になっても、状況は好転せず、ますます混迷を極めてきていた。
民族ごとに武装の準備を始めたり、時には街中で銃を持ってあるく市民も出始めていたんだ。
初めて目にする銃は、とても怖かった。でも非現実的な光景に見えて仕方が無かったんだ。
まさか、そんなのを使うわけ無いでしょってね。


171 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/05/19(水) 16:32:57.26 ID:5swMK0ox0
フルヴァツキとスルツキが対立してるのは分かったけど、この時のボシュナチの立場ってどういう状況なんだ?
よく分からなくてごめん


>>171
俺もこの時は何でボシュニャチ(ボスニア人も?)って思ったんだよ。
だけどさ、最初のフルヴァツカ紛争(クロアチア紛争)の発端は、どっかの競技場?で
ボシュニャチ(ボスニア人)がスルツキ(セルビア人)を殺してしまった事から始まったらしい。
勿論、それ以前から問題はくすぶっていたんだけど、それが爆発するきっかけを作ってしまったんだ。

そして、第二次世界大戦中、ボシュニャチ(ボスニア人)も、スルツキ(セルビア人)を殺してたんだよ…。

そして、今から書くけど、連邦からの独立をセルビアは反対していた。そしてボスニア・ヘルツェゴビナの
セルビア人も。しかし、ボスニア人とクロアチア人は独立に賛成していたんだ。


177 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:38:48.89 ID:60HAO/620
そして2月に入って、ついに独立の国民投票が始まった。ドラガン達のような
スルツキ(セルビア人)の人々は、この投票に怒りをあらわして、投票を棄権したんだ。
それと同時に、俺達が住んでいた地域は
スルツキ(セルビア人)や連邦軍によって、ボスニア・ヘルツェゴビナからの離脱が表明されたんだ。

つまり、連邦からの独立に反対する人々と、独立を推し進める人々によって、俺達が居た国は
三つの勢力にわかれた。言うまでも無く、ボシュニャチ・フルヴァツキ・スルツキの民族ごとの
三勢力にね。

178 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage]:2010/05/19(水) 16:39:10.27 ID:35C/73760
クロアチア人も独立に賛成していのか


>>178
賛成していた。だからこそ、クロアチアとしてユーゴから独立を宣言して、
クロアチア紛争が始まったんだ。
そして、ボスニア領内でも、彼らは自分達の国を作ることを望んでいた。

自分達の国を持って、自分達で国を動かし、
自分達が自分達を支配する。それが最も安全だったんだ。


188 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:46:31.92 ID:60HAO/620
続き書くね。

つまり、俺達が住んでいた国、即ちボシュナは連邦から独立を宣言したんだ。
それと同時に、このボシュナは三つの国にわかれた。

一つはボシュニャチの人々のボシュナ。もう一つはフルヴァツキの人々のヘルツェグ=ボシュナ。
そしてスルツキを中心とするスルプスカに。俺達の居たカリノヴィクはこのスルプスカの領内だったんだ。

190 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:47:43.88 ID:60HAO/620
この時点で、もうこの国において、民族同士の衝突、戦争は避けられない状況になっていた。
俺達の街からも、首都サラエヴォに向けて脱出する人がちらほらと出てくるようになった。
あ、脱出したのはボシュニャチの人々ね。


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250: by 大矢部結城 on 2012/11/19 at 05:55:24 (コメント編集)

わかります

251: by サブリナ on 2012/11/23 at 23:54:45

結城さん。来てくださってありがとうございます。

短く大筋だけにしました。ソニアの話がなくなって・・ゴメンね。トラガンがとても可愛そうでした。

大切な真面目な話しをして下さっているのに、日本のネットの住人にはがっかりなさったでしょうか。普通の時は、楽しいメンバーなんですが・・涙

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