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三分も助ける身魂がないぞよ  

なわのつぶや記様から「大本神諭」というのを見つけました。
重要な所を<一部転載>させて頂きます。

■大正6年旧11月23日(以下同じ)
  至仁至愛大神(みろくさま)の御出現(おでまし)になる時節がまいりて、明治25年から変性男子(へんじょうなんし=出口ナオ)の身魂に手と口とで知らさしてありたことが、実地に出てくるぞよ。今まで良きことをいたしてきた身魂は、良きことが出てくるなり、悪いことをいたした身魂は、悪いことが出てくるなり。何もかも一度に現れるぞよ。何もかも世界中のことは、帳面に書留(つけとめ)てある同様に、天地の先祖は何一つ知らんということはないから、底の判らぬ経綸(しぐみ)がいたしてあるぞよ。


  当サイトにアップしている桑原啓善さんの譬え(「サタンが降りた」参照)の「白いボールを投げたら白いボールが、黒いボールを投げたら黒いボールが、それぞれ返ってくる」ということが述べられています。そして、「時間のスピードがゼロ・ポイント(大峠)に近づくにつれて、すべてが一度に現れる」ということが、この内容からも確認できます。私たちがこれまでの人生でつくってきたすべてのカルマが天地の先祖(宇宙創造神?)には把握されていて、大峠までに次々と現実化していくということです。 

今までは悪神の支配の世でありたから、何事も見て見ぬふりをしておりたなれど、さっぱり時節が回りてきて、のっぴきならんことになりてきたから、いつ船が覆(かえ)るやら解らんぞよ。一度に開いてバタバタといたさねば、何時までも同じことに永う掛かりておりたら、世界中が泥海になりて、人胤(ひとだね)もなくなりてしまうから、神は日本の元の経綸どおりに始めるから、いったんは世界中の大混雑となるぞよ。そうなりてくるまでに、神の申すことを信実(まこと)に聞いて身魂を研くように、筆先で日々知らしてありたが、今の上の守護神も人民も一つも判らんから、今の世界の混乱であるが、今でさえどうすることもよう致さずに途方に暮れておるが、まだまだこんな容易(たやす)いことではないが、その時はびっくりいたして腰を抜かして、頭を下にして歩くようになるぞよ。そこになりたら、四つ足の守護神の正体が自ずと現れてくるが、まことに気の毒なものであるぞよ。

  世界をこのまま放置しておくと、「世界中が泥海になりて」つまり「積もり積もった人類のカルマが噴出して大規模な自然災害が発生し、世界中の陸地が海に沈んでしまう」と述べられています。そうなると「人胤(ひとだね)もなくなる」すなわち「人類が滅びてしまう」から、神の計画通りに世の立て替えを始めるということです。その結果、「世界中の大混雑になる」のは避けられないようです。そうなる前に、神の言われることを聞いて身魂を磨くように促しておられます。それなのに、私たちの守護神も私たち肉体人間も、そのことがわかっていないために、このように世界が大混乱に陥っているのです。
  私たちはこの程度の世界の混乱でさえどうすることもできないで途方に暮れていますが、これから起こることはまだまだこんな容易なことではないと述べられています。大峠になると、腰を抜かして、頭を下にして歩くようになるとのことです。その段階では、動物霊に憑依されている人はその正体を現すということですから、「自分だけは助かりたい」という「我善し」の醜い本性を現すことになるのでしょう。
 「四つ足の守護神」とは、動物霊に憑依されていることを述べています。特に世に出ている(=出世している)人物ほど、それが多いとのことです。権力やお金に執着する人間ほど動物に近いということでしょう。そういう人物たちは、終末には大変気の毒なことになると述べられています。


  盲目と聾の守護神、人民は、実地が来るまでまことにいたさんから、ジリジリ舞いの狼狽舞いをいたすことがきても仕様はないぞよ。鬼とも、蛇とも、悪魔とも譬え方のない、イヤらしい外国の性来(しょうらい)を日本の守護神が見習うて、「外国のやり方は良い」と申して、上も下も真似ばかりいたして、今の日本の国の心配、外国の今の態(さま)、あれだけ畜生の性来が現れてきておりても、まだ眼が覚めぬか。大将までが下になったり、上になってみたり、さっぱり日本の神国を畜生の玩弄物(おもちゃ)にされてしもうて、天地の先祖も堪忍袋が切れかけたぞよ。

  多くの人は(守護神も肉体人間も)、大峠の大天変地異が実際に発生するまで、この神示の内容を信じないから、土壇場では大慌てをすることになるのです。明治維新以降、悪魔のような(というより悪魔そのものの)西洋のやり方を見習って、動物的な本能丸出しの性格を現してきた結果、今日の乱れた社会が生まれたのです。それでも、まだそのことに気がつかない人が多いため、「まだ眼が覚めぬか」と嘆いておられます。
 神さまが厳しくとがめておられるのは、アメリカの真似をしてマネーゲームに狂奔し、「拝金主義」に成り下がってしまっている今日の多くの日本人の姿そのものなのです。


  露国へ昔から上がりておりた悪神の頭が、露国の国を無茶苦茶に乱してしもうて、外国の隅々までもワヤにいたして、金の要るのは底知れず、人の命を取るのも底知れず、行きも戻りもできんようにいたして、食物もないところまでいたして、終いには日本の神国へ攻めてきて、世界を我のままにいたすドエライ悪い奸計(たくらみ)をいたしておるが、もう九分まで悪の目的は成就いたしたなれど、日本の国の先祖の一輪の経綸(しぐみ)で、手のひらを返して天下泰平に世を治めて、あとは七福神の楽遊びといたして、世界の人民を助ける日本の元からの経綸であれども、今の世界の守護神、人民の心では、三分も助ける身魂がないぞよ。

  助かる人民(光の子=ミロクの世へ行ける魂)は三分(30%)と述べられています。日本人の30%は約3,700万人。では、残りの約9,000万人はいずこへ‥‥?

  この世の上へ上がりておる悪の守護神が、皆揃うて「体主霊従(あく)では行かん」ということが判りてきて、霊主体従(ぜん)の道へ立ち返らんと、世が治まるということはいたさんぞよ。向こうの国はちっとも急(せ)きはいたさんぞよ。「我の世に奪(と)れな(ければ)、児の世に奪る。児の世に奪れな(ければ)、孫の世に奪る」という気の長い経綸であるから、「何時になりても奪りさえしたら良い」と申して、ちっとも急ぎも動きもいたさんぞよ。日本の国はそんなことをいたしておりたら国家が潰れてしまうから、天地の元の生き神がちょっとの秘密をいたしてあるぞよ。
  日本の国の仕組みは、知恵や学力では何ほど考えても判りはせんぞよ。ちと深い仕組みがいたしてあるぞよ。外国の仕組みは浅いから、すぐに人の眼に判るなれど、日本の経綸は外国魂では判らんぞよ。何彼(=いろいろ)の時節がまいりてきたから、始まりたら何も一度に開けてくるから、よほどしっかりと覚悟をいたさねばならんから、今に続けて知らしておるぞよ。疑いと、我情と、取り違いとがいちばん恐いぞよ。


  「向こうの国」とは「陰の超国家権力」すなわちイルミナティの「奥の院」を指していると思われます。その実態はつかめませんが、霊的世界では見えているのでしょう。その「陰の超国家権力」を支配する霊的存在(=サタン)が、神の国である日本を奪おうとしているのです。
  「陰の超国家権力」の一翼を担うフリーメーソンのバッジが、「世界地図の上を這い回っている蛇(=サタンのシンボル)が、舌を出して日本を狙っている姿」の絵柄になっていることを以前にご紹介しましたが、まさにサタンは日本の国を霊的に支配しようと狙っているのです。
  それでも日本にはちゃんと神さまの手で「知恵や学力では判らない」仕組みがしてあるということですから、最後は大丈夫ということで、安心しておきましょう。時間がゼロ・ポイントを迎える直前になると、「何も一度に開けてくる」ということで、大天変地異が起こることは覚悟しておく必要があると思いますが‥‥。


  今度の大戦いは人民同士の戦いでないぞよ。神と神と、国と国との、末代に一度よりない大戦いであるぞよ。今度の日本と外国との戦いには、男も女も、子供も、年寄りまでも日本魂(やまどだましい)に立ち返りて神国を守らねば、日本の先祖の大神に申し訳が立たんぞよ。今のような「我さえ良かりたら、人はどうでも構わん」というような精神でありたら、日本の国もえらいことになるぞよ。日本の霊主体従(ひのもと)の結構な神国を、悪神の頭と四つ足にここまで自由にしられて、これが悔しくないような腰抜けがたくさんあるが、今に日本の頭の上にかぶさっておる大難を、何といたして打ち払うつもりであるか。先の見えん守護神、人民には、神も往生いたしておるぞよ。

  「今度の大戦い」は異次元における戦争であるということです。新約聖書でも、「天(霊界)でミカエル(天使軍)と龍(悪魔軍)の戦いがあった」と述べられています。その神霊界の姿が徐々にこの三次元世界に現れてくるということです。そして、すでに神霊界では、戦いの決着はついていると言われています。ただ、人類がこれまでにつくってきたカルマがこれから表出してきますので、それを受け取る側の人間次第で、この世界の混乱の程度が左右されることになるということでしょう。
  「自分さえよければ、他人はどうなっても構わん」という精神の人は、大変悲惨な結末を迎えることになりそうです。戦後教育の中で「国全体のことよりも、まず自分のことが大切」と、個人主義と権利主義を教えられて育った人たちの多くは、これからその間違いに気づかされることになるでしょう。


  初発からの筆先に、「今度は世界が三分になる」と毎度知らしてあるが、世界は三分になるぞよ。日本に間に合う身魂がないようになりておるから、今まで人民の思うておりたことが大間違いになりてくるぞよ。
  この世ができてからいまだない、末代に一度しか知られん二度目の世の立て替えであるのに、何も判らぬ悪神の仕組みは、我良しの強い者勝ちのやり方であるから、我の血筋と、親族と、眷属とさえが良かりたら、「何時までかかりても、奪れたおりに奪りたら良い」という悪神の仕組みは楽なやり方であるぞよ。


ここでも「世界が三分になる」と述べられています。神霊界では悪神が「いつまでかかってもいいから、日本(という霊の元の国)を奪うことができたらよい」と言って、ゆっくりと日本の堕落を画策してきたということです。しかし、それを放置していると日本の国が乱れに乱れ、終末の立て替えに役立つ人物(身魂)がいなくなってしまうので、神も立て替えを急がねばならないということをおっしゃっています。

  日本は世界の中心であるから、肝心要のところに大事な経綸がしてあるから、もうビクともいたさねども、人民の方は改心次第であるぞよ。「日本の人民も大きな取り違いをいたしておる」と、毎度筆先で書かして知らしてあるが、その大間違いの判る時節がまいりてきたぞよ。余り一度に何彼(=いろいろ)のことが判りてきて、逆立ちにならないかんようになりてきたぞよ。神が一度申したことは、何事によらずみな世界から出てくるから、一日も早く改心をいたすように、日々に続けて知らしてやりたなれど、今に誠にいたさんゆえに、何彼(=いろいろ)の時節が九分九厘となりてきて、善悪の立て分けをいたさなならんから、あちらにも、こちらにも、足元にも、何から始まるやら、人民には見当とれんことになるぞよ。ここへなるまでに、「身魂を研いておけ」と申して知らしたなれど、誠にいたして聞く身魂がないから、これからは罪穢(めぐり=カルマ)のあるとこには、罪穢だけの借銭済ましをいたさすのであるぞよ。「今度の二度目の立て替えは、国々、都会、田舎、村々、家々に、身魂の借銭だけのことは、天地の神から済まさしてしまうから、どこも恨むことは(でき)ない」と申して、明治25年から知らしてあるぞよ。知らしてあることが、良いことも厭なことも、みな一度に出てくるぞよ。
  「それまでに一人なりとも改心さして助けたい」と思うて、今まで苦労いたして知らしたのであるぞよ。新つの洗い替えの世になるのであるから、外国には厳しいことがあるぞよ。


  「日本という国には、肝心要のところに経綸(=仕組み)がしてあるから大丈夫」と述べられています。しかしながら、人民(国民)は、改心ができているかどうかによって行き先が違うということです。現時点で新しい世界(=ミロクの世)に行ける人は全国民の30%しかいないとのことでした。
  そして、私たちがその間違いに気づかされる時節が来たということです。どういう形で気づかされるかと言いますと、「あちらにも、こちらにも、足元にも、何から始まるやら、人民には見当とれん」ということですから、まさに社会は大混乱になると思っておく方がよいでしょう。地震などの自然災害に国家破綻による経済的混乱、外国からのテロ攻撃などが同時に発生するのかも知れません。私はその可能性が大きいと思っています。
  それは日本国民が背負っているカルマなのです。「国全体のことよりも、まず自分の幸せが大切」と考えるようになったことの間違いを気づかせるための働きかけと見ることができます。さまざまな災害は、日本国民が、個人のことを優先させる前にまず国全体の幸せを願い、そのために力を合わせることの大切さを思い起こすきっかけとなるのです
  私は、それが「身魂磨き」の大切なポイントだと確信しています。
  それでもなお、他人を踏み台にしてでも自分(自分の身内)がまず助かりたいと狂乱する人たちは現れるでしょう。それが、終末の卒業試験なのです。そこで人は試され、最後のふるいに掛けられるということです。「そうならないために、今のうちから十分な心の調律をしておきなさい」というのが神さまからのメッセージなのです。


日本は神の国、神が守らな治まらぬ国であるのに、肝心の一の番頭、二の番頭から外国魂になりきりてしもうておるから、何時までも世はゴタゴタいたして治まりはいたさんぞよ。今の世の持ち方はまるきり畜生のやり方で、強い者が弱い者の汗油を絞りて、その汗と油で高いところへ上がって、舌をペロリと出して見下ろしておるが、それが悪魔の世と申すぞよ。これだけ世界に上下懸隔がありては、何時になりてもこの世に口舌(くぜつ=ケンカ)の絶えるということはないぞよ。外国の真似ばかりいたして「これが開けたやり方」と申しておるが、どこが開けたのか。
 途中のエラい鼻高が、毎年ひととこへ国々から集まってきて、結構なご相談やいさかいをいたしてござるが、下の何も知らん人民は良い面の皮じゃぞよ。昔からの暦を潰したり、神の鎮まる先祖代々からの御宮を「金がないから」と申して潰したり、神を相借家へ放り込みておいて、人民は昔の王も叶わんような家を建て、別荘を建て、金ばかりを重宝がり、「金さえありたら神も要るものか」とえらい慢心と取り違いをいたしておるが、こんな天地を畏れぬ外国魂の畜生のやり方は、神は何時までも許すことはできんから、皆それぞれに覚悟をなさるがよかろう。外国の四つ足の真似をいたして、結構な家の内で、牛や馬の肉を煮て喰うたり、首に畜生の皮を捲いたり、畜生の毛で織った物を肌に着けたり、それがさっぱり四つ足の性来が現れておるのであるぞよ。


  「一の番頭、二の番頭」というのは、天皇の側近、または政治家のことを意味しています。天皇が実権を持っていないことは、既に明治時代からお見通しだったということです。
  「強い者が弱い者の汗油を絞りて‥‥」は、まさに現在の世界各国の状態を表しています。「金さえあれば‥‥」と、金ばかり重宝する社会になっているのも、今日のことを言っていることがわかります。


  日本の国は一日増しに押し詰まりてきて、食物はだんだんと欠乏になるなり。菜っ葉一枚でも大切なことになりてくるぞよ。何ほど金を貯めて喜んでおりても、まさかの時には金銀では命はつなげんぞよ。百万円の金よりも、一握りのお米の方が大切な世が回りてきて、田畑に植え込みて喜びておりた桑までも掘り起こさなならんことになりてくるが、人民と申すものは近欲で、誠の神の申すことは判らんぞよ。人民の精神がさっぱり曇りきりておるから、何をしてみせても、何を聞かしてやりても、神の申すことを汲み取る人民がないが、ようもここまで曇りたものじゃ。世の立て替えをいたそうにも、掛かることができんぞよ。

  「何を聞かしてやりても、神の申すことを汲み取る人民がない」と嘆いておられます。このまま立て替え(破壊)を始めると、多くの人民が救われないことになり、それでは人民が可哀想なので、なかなかそのことに着手できないということを言っておられるのです。「一日増しに押し詰まりてきて」という表現に注目してください。「刻限が切迫する」ことを表現しています。「押し詰まる」は大晦日を迎えるときの言葉です。大峠(2012年12月)が近づいてくると、「菜っ葉一枚でも大切」というほどの食糧危機に見舞われることが述べられています。同じ内容は『日月神示』の中でもたびたび警告されているのです。
  もちろん、このような神示による警告がなかったとしても、今日の日本の食糧事情(先進国一番の自給率の低さ、大半の国民が飽食の状態にあり、食べ物への感謝の気持ちを失っていること)を勘案しますと、私は日本が間もなく食糧危機に遭遇するのは避けられないと見ています。


  明治25年から、出口直の手を借り口を借りて知らしてありたことの、実地が出てくる世になりだぞよ。「露国から始まりて、日本と外国との大戦いがある」と申したが、時節が来たぞよ。「外国は終いには一腹になりて来る」と申して知らしてあろうがな。この神、一度申したら、何時になりても毛筋の横幅ほども違いはいたさんぞよ。
  外国の悪神の頭が、露国を無茶苦茶にいたしておいて、も一つ向こうの国へ渡りて、人民の王を自由に使うて、世界中の困難をも構わずに、「自国さえ良けら他はどうでもよい。人は倒しても我さえ立ちたら満足じゃ」と申して、「悪の頭が今に日本の神国に攻めて来るぞよ」と申して、知らしてあるぞよ。
  日本の人民はちっとでも誠がありて、一の番頭、二の番頭の守護神に、誠一つの日本魂さえありたら、何ほど外国の学力でも、人民がたくさんありても、金が何ほどありても、ビクともいたさねども、今の日本の持ち方は、守護神がさっぱり外国よりもまだ一段身魂が劣りてしもうておるから、今にキリキリ舞いをいたさなならぬことができてきて、往きも還りもできぬようになるのは目の前にちらついておるから、「一日も早く改心いたせよ。身魂を研けよ」と、腹が立つほどくどう申して、気がつけてありだぞよ。
  それで改心のできぬような人民は、気の毒でも今度の二度目の立て替えには間引かれて、万古末代根の国、底の国へ霊魂を落としてしまうという、神界の規則であるぞよ。神は人民を助けたさの、長い間の苦労であるぞよ。兵隊をいったん日本へ引き寄して、外国を地震、雷、火の雨降らして絶滅(たや)さねば、世界は神国にならんから、余り何時までも神の申すことを聞かねば、三千年の経綸どおりにいたすから、世界に何事ありても、神と出口を恨めてくれなよ。


  「も一つ向こうの国」はイルミナティの奥の院のことでした。その悪の頭が「人民の王を自由に使うて」とあるのは、まさに「陰の超国家権力」がアメリカの大統領を操っている姿です。操られたアメリカの支配層が、いま日本を属国のように扱って政治的・経済的に理不尽な攻撃を仕掛けているのはご存じの通りです。
  私は、「陰の超国家権力」は中国や北朝鮮をけしかけて、武力による日本侵攻を画策していると思っています。その舞台装置を整えるために、日本の“一の番頭”である小泉首相は、どこかから命じられるままに形だけの靖国参拝を繰り返し、中国や韓国の国民をわざと刺激して反日気運を盛り上げてきたというのが今日の構図です。
  わが国の“一の番頭”がそのような深遠な意図を見抜いているとは思えません。しかしながら、もし日本を戦争に巻き込もうとしている邪悪な意図を見抜いていたとしても、もはやどうすることもできないでしょう。今となってはピエロのように「改革音頭」を踊るしかないのです。
  かつて山本五十六や米内光政といった“日本の大番頭”たちが、「陰の超国家権力」の画策するままに真珠湾攻撃やミッドウエー海戦を演出し、日本を敗戦国に導いた時と同じシナリオが見えています。残念ではありますが、それも日本という国のカルマが表出する姿なのでしょう。
  そんな中で私たち一般国民のできること、しなければならないことは、「改心」すなわち「身魂磨き」ということです。これから起こることを恐れたり、「どうか助かりますように」と命乞いをすることではないのです。いまこそ本来の日本人の魂に立ち返り、「我良し(利己主義)」から目を覚ますことが大切なのです。
  もし「改心」ができないと、今度は魂ごと永遠に(万古末代)地獄的世界(根の国、底の国)に落とされてしまうことになるぞと警告されています。


  明治25年から、天の御先祖様の御命令を戴きて、世界の人民に何彼(=いろいろ)のことを知らせども、今の人民、欲に惚けて我が身の用意(しがく)ばかり、国のことども思う人民は、上に立っておる守護神には薬にするほどもないから、世は段々と押し詰まりてくるばかり。今に皆の人民がキリキリ舞いをいたして、アフンといたすことが到来するぞよ。
  唐土(とうど)の鳥の渡らん先(=前)に、神は還りて経綸をいたせども、聞く人民なきゆえに、残念なれど唐土の鳥が、今に日本へ渡りて来るぞよ。毒を空から降らして、日本の人民を絶やす経綸を昔からいたしておることが、よく神には判りておるから、永らく知らしたのでありたぞよ。速く改心いたさぬと、改心の間がないぞよ。神は気をつけた上にも気がつけてあるぞよ。もう何彼(=いろいろ)のことが一度に実現(なり)てくるから、「こんなことなら、もひとつ気をつけてくれそうなものでありた」と、まだ不足を申す守護神、人民があるぞよ。


  この神示をピックアップしましたのは、「唐土の鳥が日本に渡りて来て、空から毒を降らし、人民を絶やす経綸(=仕組み)をしておる」という内容が気になったからです。「唐」は中国と見るのが一般的ですが、『大本神諭』では「カラ」という表現で「外国全般」を指す場合もあります。いずれにしても、外国が日本に空から「毒」をまくということです。
  「鳥」という表現から、それは鳥インフルエンザに汚染された渡り鳥を日本に飛ばして、日本人に感染させることを意味しているのではないか、と思った次第です。大正時代の人に鳥インフルエンザのことを伝えるとすれば、このような表現になるのではないかという気がするのですが‥‥。対策は、やはり「早く改心すること」です。
  ここでも、「(終末には)いろいろなことが一度に現れてくる」と述べられています。列車の窓から見る景色の移り変わりが速くなり、最後は一瞬のうちに景色が流れていくようになる――というイメージですね。


  向こうの国の身魂は、悪いことならどんなことでもいたす、エラいものであるぞよ。向こうの国と和合いたしたら、末代「嬉しい」というようなことは一日もなしに、乱世ばかりが続くぞよ。何時になりても利己的(われよし)の、人は転けようが倒れようが「起こしてやる」というような優しい身魂はありはせんから、帰幽(でなおし)をさして、十分の行をさせて、新つにいたさんことには、道はないぞよ。

  『大本神諭』をよく読みますと、改心できない人の行き先は「根の国、底の国」となっています。仏教で言えば「無間地獄」のようなものでしょうか。「地獄は私たちの心がつくりあげたもので、地獄というものは本来はないのだ」という霊界通信もありますが、それは輪廻転生を繰り返しているときに経験してきた四次元の低い世界(幽界)のことです。
  今回の終末では「万古末代」という表現がされている通り、魂の住む世界が確定してしまうようですから、地獄的世界(根の国、底の国)に行った魂は、永遠にその世界に閉じこめられる可能性が高いと思われます。
  もちろん、最終的には地獄的世界で「十分の行(苦行?)」をさせることによって、もう一度魂を「新(さら)つ」にしてもらえるのかも知れませんが、「早く改心いたせ」とくどいほどに警告されていることから判断して、決して生易しい状態ではないはずです。やはり、「早い改心」に越したことはないでしょう。


  日本の国には昔から、天地の先祖が深い経綸(しぐみ)をいたしてあるから、何事も今度は実現(あらわれ)てくるぞよ。今になりてから経綸を変えるということはならん。大本の経綸どおりに、何事も一度に出てくるぞよ。今度の洗い替えは三千世界の大洗濯であるから、書いてあるだけのことはいたしてしまわねば、天地から何事もなしに済ますということは、今度は借銭済ましをせずに堪(こら)えることはできんから、よく人民、守護神に解るように書いて気がつけてあるぞよ。一度申したことは違わん筆先であるから、途中で変わりはいたさんぞよ。

  「何事も一度に出てくる」ことの意味は、終末の大峠になると、天変地異や人為的な戦争などが一度に現象化するという意味でしょう。それは地球と私たちのカルマが清算される姿です。「今度は借銭(=カルマ)済ましをせずに堪える(こらえる=許す)ことはできん」と述べられています。カルマのボールは白いボールも黒いボールもすべて受け取らなくてはいけないということです。
  後になるほど一度にまとめて投げ返されることになりますので、早く(改心して)少しずつ小分けして受け取る方が楽であることがわかります。しかも、白いボールと黒いボールは霊界でお互いのパワーが相殺されますので、黒いボールを受け取っても心を乱さないほどに身魂磨きができていれば、つまり恨んだり恐れたりする必要がないという気づきを得ていれば、その後は新たに黒いボールを投げることはありませんから、受けとる量も激減していくことでしょう。



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